思考の体力

note始めてからいろんなひととの出会いがあった。顔もしらない人とのつながりがこんなにも心地良いものなんだとは思わなかったし、その距離感が自分にちょうどいいんだってことがわかってうれしかった。

はてなの日記は、まいにちのとりとめないことを記そうと思って始めたけど結局三日坊主で終わってしまっている。まぁ自分の集中力なんてそんなもんさ。私が決めたことを毎日繰り返すことができたのは高校3年生の受験期だけだったなあ。

それで、先日noteを書く直前に自分が気張ってしまっていることに気づいた。読まれる文章を。スキを。きちんとしたエッセイを。読者に共感をーーそう思って書いているようでは本末転倒だと思った。名前を変え、さまざまなところで文章を書き続ける理由はここにあって、ある程度読まれるようになると必ず読者を意識してしまう癖がある。私はこれからも流浪するのだろう、という諦念がある。だから、今一時的な避難場所としてこのはてなブログを書く。Twitterは向いてない。ツイートするたびフォロワーが減る。私の存在なんて所詮そんなものなんだろうけども。

新しい仕事が生まれた。前前職の先輩から連絡があって、メーカーの広告案件のディレクション&ライティング。「どれくらいの金額ならできそう?」と聞かれてすぐに答えられず、私の10個年上で同じジャンルでライターとして活躍している先輩に電話して話を聞いた。予算感は40〜50万。そのなかでカメラマンとかモデルとかいろいろやりくりをして残ったのが自分の取り分、らしい。なるほど、自分のギャラを自分で決めるという丸投げ形式ね。了解。その先輩にいろいろ聞いたところ、メーカーのしごとができるようになっていったら信頼してもらった暁には別の企画を提案できるようにしていったほうがいいよって言われた。それができたら苦労はしないんだけども。私はずっと受け身でフリーランスで仕事をしてきていて、フリーになって5年目で受け身で稼ぐことに天井が見え始めてしまって、でも出版社に営業に行くのは怖くて、自分なんて必要とされていないと言われるのを避けたくて、なんか小説家になりたいとか夢かたり出してて、とにかく自分の身の振り方を考えないといけないんだって思った。その先輩は常に前を見ている。次の次の金の稼ぎ方を考えている。こういう思考の体力がないと、本来はフリーランスなんて務まらないんだと思った。