電話に出てくれなくちゃ死んでやる

終始、調子が悪い。

昨日の晩、夫と大喧嘩をした。理由は夫が仕事中に私のLINEをすぐに既読してくれなかったから、というまるで高校生のようなもの。結論からいうと、たぶん私が悪い。

私は淋しさを爆発させてしまう瞬間が多々ある。子どもの頃からの愛情不足が原因なのか、相手を試し、脅し、自分がきちんと愛されているかどうかを確認する。淋しさの多くは怒りで表現する。寝ている夫を起こし、今日LINEを既読にしなかったことを強制的に謝らせる。夫も発狂していた。このままでは私たちは壊れると思った。

どこかの本で読んだが、私のような境界性パーソナリティ障害の人間は、“底抜けの愛情飢餓”と呼ばれるらしい。愛されても不安だから、確認する。2歳で済ませる試し行動を、今やっている。

「死にたい」「電話に出てくれなくちゃ死ぬから」などという駆け引きは、夫に効かなくなってきたようだ。だから次は本当に死んでみようかなと思った。本当にそう思ってしまうから、病気なんだと思う。あるときからもう死ぬことが怖くない。だから、死ぬことを選択肢にもったまま、生きているようなものなのだ。

夫に限らず、男性と口論・喧嘩になると、圧倒的な力の差を感じる。大きな手で押さえつけられたり、「俺は振り払おうとしただけだ」と言われるような仕草でもこちらにとってはとてもじゃないが、恐ろしく感じることがある。夫はそれをわかっていない。このままでは殺されるかもしれないと思ってしまうことがたまにある。

 

今日、ファミレスで思い立ってnoteを書いているとき、ボロボロ私は泣いてしまったのだが、夫は目の前にいるのにも関わらず、仕事に夢中で私に気づいてくれなかった。目の前で泣いてときくらいは、せめて救ってほしかった。そう思う、私はわがままなのだろうか。

書いたnoteはこれである。最近ずっと悩んでいることを書いてみた。

note.com

 

普通、不安にさせてしまっていたら「そう思わせてしまってごめん」と言うだろうに、それすらも聞けないとなると、一緒にいる意味とは?と考えてしまう。

思い返せば、自分を弱いと認めるところから始まった。私は弱い。弱いから、弱いなりに戦っている。本当は嫌なのに死にたいと考えてしまったり、ちょっとしたストレスに大ダメージを受けたり、そういうの含めて私なのにと思う。もし、私が私の恋人だったら、もっと寄り添ってあげたい。やっと弱さを出せるようになったのだから、精一杯甘えさせてあげたい。

 

しかし、「電話に出てくれなかった=私のこと大事じゃないんだ」という思考回路になりがちだが、そういうことではないらしい。これはとてもむずかしいことだが、私が今現在思っている“愛情の測り方”は少し違う方向を向いている。私が私を助けてあげたい。

 

今日は七草粥を昼に食べた。それでまた動けなくなって15時くらいにランニングに行った。走れば、この最低な気分が終わるのかと思ったがそうはいかなかった。ファミレスに行ったが、noteを書いて喧嘩をして終わった。

 

夫とは喧嘩をしたり、仲直りをしたりして忙しい。いくら今日緊急事態宣言が出たとしても生活をしなければならない。

 

ああ、疲れた。泣いたから眠い。