おんなとおんな(中村珍『羣青』の感想)

さいきん面白かった漫画の話をします。

■羣青(著・中村珍

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Netflix Japanが作った『彼女』という映画の原作で、先日『彼女』を見てモヤモヤした(んんんなんで?と引っかかったとこ)とこがあったので、原作を読んでみた。上中下巻と3冊あるのだけど、カロリーが高すぎて一気読みはできない。作者の感性of感性の塊、憤り、熱、苦しみを紙とペンにゴリッとぶつけたような作品だった。

私、『彼女』を観たときは(原作があると知らなくて)「なんや、テルマ&ルイーズの焼きましかよ〜」と舐めたように見ていたことがあり反省しているのですが(ホント糞だよ私)、おそらく映画『彼女』を観てモヤってしてしまった人は『羣青』を読むとほんとうに心が救われると思う。そこに行動は伴わなかったにしろ、登場人物たちは言葉に自分たちの感情をすべて出してくれているから、みんながアマゾンコメントで浅はかだって思っちゃうすべてが言語化されてるから。

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以下ちょっとネタバレしてしまうが、漫画『羣青』では、主人公(漫画版では名前が明かされず進むので…金髪のほう、映画だと水原希子のほう、です)の元カノが死んだことがかなりキーポイントになって話が進んでいく。元カノの死に方を巡って各登場人物の心情が交差するところがいちばんおもしろいのに、映画『彼女』ではそこはちと薄かったよなあと思う。

私が特に『羣青』で好きなシーンは、元カノ(真木よう子の役)が恋人(金髪・水原希子)と別れてからを描く、上巻に収録されている15話。恋人(金髪・水原希子)と別れてすっからかんになった同棲してた部屋、レズビアンの自分に「出産したよ〜♡」メールを送ってくる女友達、「ヤケになったら負け、だから」と自分を立て直そうとしてあたらしい生活を始めようと自分を奮い立たせてる姿、失恋にあらがわずに受け入れる姿……。自分とまったく違う状況だけど感情移入のポイントが多すぎて大号泣した。

「これから私はアンタを、忘れていくために暮らしてくよ。新しい彼女つくってしゃあしゃあと生きてくよ。」ってセリフがあるんだけど、全失恋したことがある人間に刺さる名セリフだと思う。もし失恋した友達がいたら、ちょっとハードかもしれないけど、そっと『羣青』をプレゼントしようと思う。

漫画でね、元カノ(真木よう子の役)の父&母もすごくいいんだ。レズビアンに理解のある母親としてだけは映画でも描かれていたけれど、元カノ(真木よう子の役)の父&母が娘がレズビアンと知る過程・知ってからの関わり方とかそのへんを分厚く描くシーンが映画『彼女』にもあったらよかったのにな〜とざんねんに思う。。反面、映画『彼女』は完全なるロードムービーとしてのおもしろさを出したかったんだよねたぶん。wiki見たら英題『Ride or Die』だったし。

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あと、上巻の表4側にある裏表紙にあるキスシーン(初出は講談社の「モーニング・ツー(18号)」だって)も本当に心揺さぶられてしまう。胸が痛くなったら何度でも読み直したい。中村珍という漫画家、これを書いた当時は20代前半とか?(もっと若い?)らしい、おそるべし天才。

 

思考の体力

note始めてからいろんなひととの出会いがあった。顔もしらない人とのつながりがこんなにも心地良いものなんだとは思わなかったし、その距離感が自分にちょうどいいんだってことがわかってうれしかった。

はてなの日記は、まいにちのとりとめないことを記そうと思って始めたけど結局三日坊主で終わってしまっている。まぁ自分の集中力なんてそんなもんさ。私が決めたことを毎日繰り返すことができたのは高校3年生の受験期だけだったなあ。

それで、先日noteを書く直前に自分が気張ってしまっていることに気づいた。読まれる文章を。スキを。きちんとしたエッセイを。読者に共感をーーそう思って書いているようでは本末転倒だと思った。名前を変え、さまざまなところで文章を書き続ける理由はここにあって、ある程度読まれるようになると必ず読者を意識してしまう癖がある。私はこれからも流浪するのだろう、という諦念がある。だから、今一時的な避難場所としてこのはてなブログを書く。Twitterは向いてない。ツイートするたびフォロワーが減る。私の存在なんて所詮そんなものなんだろうけども。

新しい仕事が生まれた。前前職の先輩から連絡があって、メーカーの広告案件のディレクション&ライティング。「どれくらいの金額ならできそう?」と聞かれてすぐに答えられず、私の10個年上で同じジャンルでライターとして活躍している先輩に電話して話を聞いた。予算感は40〜50万。そのなかでカメラマンとかモデルとかいろいろやりくりをして残ったのが自分の取り分、らしい。なるほど、自分のギャラを自分で決めるという丸投げ形式ね。了解。その先輩にいろいろ聞いたところ、メーカーのしごとができるようになっていったら信頼してもらった暁には別の企画を提案できるようにしていったほうがいいよって言われた。それができたら苦労はしないんだけども。私はずっと受け身でフリーランスで仕事をしてきていて、フリーになって5年目で受け身で稼ぐことに天井が見え始めてしまって、でも出版社に営業に行くのは怖くて、自分なんて必要とされていないと言われるのを避けたくて、なんか小説家になりたいとか夢かたり出してて、とにかく自分の身の振り方を考えないといけないんだって思った。その先輩は常に前を見ている。次の次の金の稼ぎ方を考えている。こういう思考の体力がないと、本来はフリーランスなんて務まらないんだと思った。

 

そんなこんなで3月

日記を書くことがこんなに向いていないとは思わなかった。今日からこの日記のタイトルをクズ日記にしたい。

noteに日記を上げているひとが多くてフォロワーさんの日記などを読むの大好きなんだけども、いざ自分が日記をまいにち更新しようとすると「私の毎日更新note(日記)がフィードに現れるだけでうざいだろう」と思ってしまう。だから、まいにち日記を書くのなら、はてなブログで、ひっそりと、書けばいい。

■3月13日(土)

朝から恐ろしいほどの雨が降っていた。昨日の夜から「頭痛ーる」というアプリで特大な低気圧が来るらしいとは知っていたが、こんなにも大雨が。東京の西のほうや埼玉では土砂災害警報なんかも出ていた。気圧がさがるたびに私の頭が孫悟空の緊箍児(きんこじ)のように締め付けられる。さっきロキソニンを飲んだ。いくばくかマシになったので、近所のジョナサンに来た。夫は生ビールとタンドリーチキン、私はエビのドリアとドリンクバーを頼む。禁酒中の夫、最近はトレーニングと称してお酒を慣らし飲みするようになってきた。以前、大泥酔で迷惑をかけたことにより、飲み方を再構築中。

ジョナサンはいい。私はよく仕事で利用するのだけど、家族連れ、葬式帰りの親族、高校生、飲み会終わりの若者、などいろんなひとたちが来るのだけど、それらをすべてまるごと受け入れているかんじがする。

ほかの店に行って長時間PCをやっていると「そろそろ出てってください(意訳)」とたまに追い出されるのだけど、ここのジョナサンはいつまでいたって追い出さない。ただただ受け入れる。

今、私の左後ろに、本を読みながら、赤ワインを飲み、ケーキを食べている三十代くらいの女性がいるんだけど、これまたすごくいい。そういうフランス人っぽい土曜日の過ごし方を私もやってみたかった。心の余裕も酒の強さもないのだけど。

そういえば、昨日の夜の夢で、健康状態によって赤信号、黄色信号が出されるところにいたのだけど、私は見事に赤信号の評価だった。2日連続でチキンラーメンを食べていたからに違いない。

サボり魔

毎日日記を書こうと言ってそんなことは無理だった。気づけば書かなくなって1ヶ月たつが、まぁそんなものだろうと思う。

 

今猛烈に死にたい。酒を飲んだからだ。なぜか今日は酒が飲みたくなって千鳥の相席食堂の特番を見ながら飲んだ。夫が恵方巻きをつくってくれたので南南東に向かって黙って食べた。

酒はアルコール3%のほろよいみたいなやつを1.5本飲んだ。弱い酒なのにそれは私を酔わせるのに十分な力。体中の皮の部分がふわっと浮き上がる感覚で私は酔う。体が熱してる今はもう強制的に何もしたくなくなる。この感覚を求めてわたしは酒を飲む。

先に寝ている夫のベッドに潜り込む。先に寝てくれていたおかげで布団の中はだいぶ暖かい。

 

この1ヶ月はろくに仕事もせず、小説を書いている。私が女でいるために、子供を産むために、今の気持ちを小説にしたためる。

 

サイテーな私のこの気持ち、寝れない、昼夜逆転生活、心のつっかえが取れない毎日、酒、妊娠、仕事、生死、死にたい。こう言う気持ちを文章に綺麗にまとめられたらいいなぁと思うがそうはいかない。私には才能がないのだ。そして、なにかを続ける努力すらできないのだ。ただ、欲望だけはある。ただ、それだけ。

電話に出てくれなくちゃ死んでやる

終始、調子が悪い。

昨日の晩、夫と大喧嘩をした。理由は夫が仕事中に私のLINEをすぐに既読してくれなかったから、というまるで高校生のようなもの。結論からいうと、たぶん私が悪い。

私は淋しさを爆発させてしまう瞬間が多々ある。子どもの頃からの愛情不足が原因なのか、相手を試し、脅し、自分がきちんと愛されているかどうかを確認する。淋しさの多くは怒りで表現する。寝ている夫を起こし、今日LINEを既読にしなかったことを強制的に謝らせる。夫も発狂していた。このままでは私たちは壊れると思った。

どこかの本で読んだが、私のような境界性パーソナリティ障害の人間は、“底抜けの愛情飢餓”と呼ばれるらしい。愛されても不安だから、確認する。2歳で済ませる試し行動を、今やっている。

「死にたい」「電話に出てくれなくちゃ死ぬから」などという駆け引きは、夫に効かなくなってきたようだ。だから次は本当に死んでみようかなと思った。本当にそう思ってしまうから、病気なんだと思う。あるときからもう死ぬことが怖くない。だから、死ぬことを選択肢にもったまま、生きているようなものなのだ。

夫に限らず、男性と口論・喧嘩になると、圧倒的な力の差を感じる。大きな手で押さえつけられたり、「俺は振り払おうとしただけだ」と言われるような仕草でもこちらにとってはとてもじゃないが、恐ろしく感じることがある。夫はそれをわかっていない。このままでは殺されるかもしれないと思ってしまうことがたまにある。

 

今日、ファミレスで思い立ってnoteを書いているとき、ボロボロ私は泣いてしまったのだが、夫は目の前にいるのにも関わらず、仕事に夢中で私に気づいてくれなかった。目の前で泣いてときくらいは、せめて救ってほしかった。そう思う、私はわがままなのだろうか。

書いたnoteはこれである。最近ずっと悩んでいることを書いてみた。

note.com

 

普通、不安にさせてしまっていたら「そう思わせてしまってごめん」と言うだろうに、それすらも聞けないとなると、一緒にいる意味とは?と考えてしまう。

思い返せば、自分を弱いと認めるところから始まった。私は弱い。弱いから、弱いなりに戦っている。本当は嫌なのに死にたいと考えてしまったり、ちょっとしたストレスに大ダメージを受けたり、そういうの含めて私なのにと思う。もし、私が私の恋人だったら、もっと寄り添ってあげたい。やっと弱さを出せるようになったのだから、精一杯甘えさせてあげたい。

 

しかし、「電話に出てくれなかった=私のこと大事じゃないんだ」という思考回路になりがちだが、そういうことではないらしい。これはとてもむずかしいことだが、私が今現在思っている“愛情の測り方”は少し違う方向を向いている。私が私を助けてあげたい。

 

今日は七草粥を昼に食べた。それでまた動けなくなって15時くらいにランニングに行った。走れば、この最低な気分が終わるのかと思ったがそうはいかなかった。ファミレスに行ったが、noteを書いて喧嘩をして終わった。

 

夫とは喧嘩をしたり、仲直りをしたりして忙しい。いくら今日緊急事態宣言が出たとしても生活をしなければならない。

 

ああ、疲れた。泣いたから眠い。

遅刻は仮病で乗り切る

夫は11時に出社しないといけないのに11時に起きていた。もし私がそんな大遅刻をしたらメンタル崩壊して仮病使って休むと思う。

夫は飛び起きて華麗に準備を進め、何事もなかったかのように出社していった。

「ただの遅刻」と割り切れているのかっこいい。私にとっての遅刻はイコール死を表すくらいのものだったから、自分で遅刻を遅刻と認められなかった。

そういえば社会人一年目のとき、10時出社なのに10時30分に起きたことがあった。経理の人からの電話で起きた。そのときはドアtoドア2時間通勤にかかる実家暮らしだったからもう絶望しかなかったのだけど、仮病で乗り切った。

いや、経理の人だけは私が寝ぼけて電話に出たことがわかってたから後日喫煙所で会ったときに

「いや、寝てたよね?」

って結構詰め寄られた記憶がある。でも私は頑なに

「いえ、体調が悪かったんです」

と言い張った。私は昔からそういうずるいところがある。

 

 

生理に加えて低気圧、クソ寒さなど外的状況が重なり、午後はずっと落ち込んでいた。

追い打ちをかけるように東京のコロナ感染者が1500人を超えた。過去最多。二回目の緊急事態宣言もまた出るらしい。恐怖。

今日特に嫌だったのは、コロナに感染した人のその後のニュース。

どうやら感染後、治ったとしてもそのまま自宅で死んだという人が結構いるらしい。

こんなことを今言われるとどんどん恐怖が煽られるね。死にたくない。でも今この落ち込んだ状況は死ぬほどつらい。私はたまに死にたくなることがあるのだけど、今回はまさにそれでどうやって自分のことを立て直そうかとあたふたしたな。夫に連絡してSOSを求めても返信なかった。

まずドトール行ってコーヒーを飲み、その後ちょっと歩いたところにあるカフェまで行ってカフェラテをテイクアウトした。カフェイン摂取しすぎ。

それでもずっとそわそわして、16時からオンラインで打ち合わせがあるのに仕事も手につかなかったから若い頃のTOKIO長瀬と松岡の画像を眺めて少しだけ落ち着いた。

 

オンライン打ち合わせって、絶対にしゃべらない人がいるのなんでだろうね。

おかしいな、今日も4人いたはずなのに私ともうひとりしかほとんど喋らなかった。私は立場上あくまでも外部スタッフ。決定権は出版社にあるから出版社の人にもっとしゃべってほしいのにな、と思う。3時間ほど会議。

 

 

「どうしてすぐにLINEの返信くれないの?」

と帰ってきた夫を私はまた責めてしまった。

私は生理で低気圧の日は落ち込むっていうのがわかっていたはずなのになぜそれを予期できなかったんだお前は、8時間もLINEを無視ということは私がその間に死んでもいいのか?という謎理論で夫を私は責めた。

今、冷静になると意味のわからない責め方だ。きっと寂しかったんだろうね、私は。仕事中は連絡とれないと夫は言うが(当たり前だね)、それでも私は私をまだ特別扱いしてほしいんだと思う。病気のせいだと言いたくはないけれど。

 

私の病気、以下にまとめています。よかったら

note.com

 

 

中学のときにあまり仲良くなかった同級生が結婚するらしく、そのムービーを撮るからとふしぎなLINEグループに入れられた。やりたくなくてずっと無視していたけど、ムービー作成を取り仕切っている男の子から直接LINEが来てグループに入るように促された。

もう卒業から15年近く経とうとしているのに、散らばった片鱗を集めて仲のいいフリをするのは何のためなんだろう。

その結婚する子に、私はいじめられていたのにね。

 

 

 

 

マクドナルドでビール飲む人

午前中は生理痛で動けなかった。

卵巣のう腫の疑いがあって以来、生理のときはもう諦めて痛みに任せたままダラけようと決めている。夫は私の生理期間、一切の家事を引き受けてくれる。やさしみ。

今日の昼は正月に作った煮物を元にしたカレーだった。カレーのルゥが激辛すぎて食べれたもんじゃなかった。お昼を食べながら遅ればせながら年末年始のガキ使を見て、適度に笑った。菅野美穂、自分女優ってこと忘れて体張ってた。

 

その後、マンガの『戦争は女の顔をしていない』2巻を読んだ。

www.kadokawa.co.jp

 

昔から戦争ものを読むのが好きだった。その描写が激しさを増すほど遠い昔に思いを馳せて辛くなる。ふと考えると戦争と呼ばれる殺し合いが終わってからまだ100年も経っていないという事実に怯えたりする。最近やん。こわって思う。

 

このマンガ、独ソ戦のこと扱っているっぽかったからこんな記事も読んだ。もっと怖くなった。

 

gendai.ismedia.jp

すごく臭いこというけど、その戦争の時代を生き抜いたひとたちがいるからウチラが生まれて、「明日殺されるかも……」みたいなこと考えずこうやってネット上に日記書けてたりするわけで。

私のおばあちゃんたちは今80代後半で、昔戦争のときは疎開していたと父づてに聞いたことがある。もちろん今みんな元気だけど、今度会ったときこういう話を聞いてみてもいいものだろうか。

 

午後は、近くのファミレスに来て、私はTwitterやったりnote更新したり好きなことをしていた。本当は仕事の営業メールをしないといけないんだけど、今日は仕事初めの日で、みんな大量にメールのやるとりをしているだろうからという理由で断念した。明日やる。

ファミレスでパフェとか頼んだら高くついちゃうからこっそり食べるようにいなげやでチョコレートとグミを買った。

夫に「俺、前マクドナルドでビールはやったことはあるけど、君もファミレスでチョコレート食べるなんて悪いね」と言われた。

いや、たぶんマックでビールのほうが立ち悪いよ。

 

帰りの横断歩道で「よろしくちゃ〜んってギャグやってたの誰だっけ」という話になり、インスタントジョンソンだったことを思い出した。彼らは今何をしているのだろうか。

 

たぶん今夜の夕飯もカレーだ。だけど辛いすぎるから生クリームを入れて少しマイルドにすると思う。